■休憩室でコーヒーを:5


私は荒い息を整えるため、立ち止まって深呼吸をひとつした。
呼吸はすぐに落ち着くものの、動悸は相変わらずの乱れっぷりだ。
胸元に軽く手を当て、鼓動を押さえるようにして、非常灯に照らされる廊下を進む。
時刻は12時5分前。一歩一歩、確かめるように歩を進める。

自分のつま先を見ながら歩くと、やがて休憩室の青白い蛍光灯が床を照らすのが見えた。

私は意を決し、そのまま休憩室に足を踏み入れる。
視線の先に、ギロロ伍長は―――いなかった。

私は鼻をフッと鳴らした。何を期待していたのだろう。自嘲の笑みがこぼれる。

「楽しいことでもあったか」

柔らかなバリトンが響いた。振り向くと、すぐそこに伍長が立っていた。
驚いて何も言えない自分の隣を抜けて、いつかのようにコーヒーサーバーの前に立つ。

「ミルクを三つ、砂糖をひとつ、だったな」
「す、すみません」
「まるでコーヒー牛乳じゃないか?俺も風呂上がりのあれは嫌いじゃないがな」

伍長が煎れてくれたコーヒーが、テーブルの上に置かれた。

「確かにここのはブラックで飲めたもんじゃないが。どうした、座らんのか」
「は、はい」

固まった体をなんとか動かして席に着く。そんな私を見て、伍長は笑った。

「何をそんなに緊張しとるんだ。ケロロに何を言われたか知らんが、大した話はないぞ」

とにかく落ち着くために、手元のコーヒーに口を付ける。

「既に聞いたと思うが、来週、第二中隊での任務を終えることになった。
 そこで、世話になった上等兵を連れて、食事にでも行け、とケロロが言うのだ」
「は、はい」
「明日は暇があるか?」
「は、はい」
「俺は生憎、日中に異動がらみで手続きが入ってしまった。夕方から、空けておいてくれないか」
「は、はい」
「……本当に大丈夫なのか?無理を言っているのは承知だが、ケロロがうるさくてな」

私は思わず両手に拳を握った。

「全く、迷惑ではありません」
「そうか?俺と食事など、面白くもないだろう」
「いいえ!楽しみです」
上等兵は優しいな」
「社交辞令ではありません!」

ついにもどかしくなって、私は声を張り上げてしまった。すぐに失態に気づいて
俯くが、己の心に宿った炎は、そう簡単に消えてはくれない。
この気持ちをわかって欲しい。その一心だった。

「ギロロ伍長」
「……なんだ」
「お気づきになりませんか、私の気持ち」
「お前の……気持ち?」

私は伍長の視線をしっかりと捕らえた。

「私は」

言いかけると、私の口元が伍長の手で塞がれた。

「俺は」

銃器油の臭いが鼻につく。

「俺は、自惚れてもいいのか?……」

自分の目が潤むのを感じながら、私は頷いた。

唇に触れていた手が、優しく外されて後頭部へ回る。テーブル越しの苦しい態勢
のまま、引き寄せられて唇が重なった。

「伍長……」
「ギロロ、でいい」

言うなりもう一度引き寄せられて、更に深く長いキスをする。
不自然な姿勢に疲れ、どちらからともなく離れた。

「ギロロ……伍長。やっぱり呼べないです」
「俺はもう、としか呼ばんぞ」
「そうして下さい」

私は机に広がる甘い臭いに気づいて顔をしかめた。いつのまに倒したのか、
机に琥珀色の染みが広がっている。横倒しになったカップは空だった。

「夢中になりすぎたか」

伍長は苦笑して、手近にあった雑巾を渡してくれた。私もばつが悪い思いで、
机を拭くことに集中する。

「明日、いいか」
「はい」
「こちらから連絡する」

汚した机が綺麗になったのを見届けて、伍長は席を立った。
私は夢を見るような思いで、その背中を見送った。



■休憩室でコーヒーを:END

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