■forget me:4
宿舎への道を走りながら、ぼうっと霞む頭をなんとか回転させようと、手の中の小箱を握りしめた。
低い木々の立つ間を縫うように走るこの道は、ランニングコースとして使われることが多い。
大きな木の脇を曲がるカーブに差し掛かったところで、ふいに頭上の梢がざわめいた。
とっさに後ろへ飛びのくと、木葉の舞う中に青い体が音もなく落ちてきた。
先程ラボに置いてきたはずの……たしか。
「ゼロロ兵長!」
「あっ……覚えてくれたんだね、僕の名前」
距離を取る私に対して、兵長は無邪気に笑った。
「ごめんね、驚かせて。それを返して欲しいだけなんだ」
兵長は先程と全く代わらない、優しい口調で言う。
「……お返しできません」
「困ったなぁ。僕がケロロくんに怒られちゃうんだけど」
「に貸した、とお伝えください」
「余計に怒られるよ」
その時、突然兵長が跳んだ。
「!!」
「とりあえず返してもらうね」
背後に廻られた瞬間、胸元に小箱を隠したが、一瞬遅かった。
手が伸びて、小箱が奪われる。
兵長はそのまま背後へ下がり、さりげなく間合いをはかった。
「驚いたなぁ、僕の動きが見えたの?」
「クルル曹長の特別製なんです、この目」
私は自分の右目を指す。
「――なるほど。でも、いくら目で追えたって、体が付いていかないのでは、意味がないよね」
「……その通りです」
「そんなにがっかりしないでよ。なんでこれが必要なの?」
「それは、言えません」
「……ギロロくんの思い出を消したい?それに、ケロロくんのいいように使われて、悔しい?」
自分の瞳が細くなるのがわかった。
「聞いていたんですか」
「聞いていたんじゃない。全て知っているんだよ、上等兵。
ごめんね、今更だけど、ギロロくんと君が付き合う前から、君の身辺調査をさせてもらった」
「それも軍曹の差し金ですか……!」
怒りで思わず拳を握りこむ。
兵長はあくまで穏やかに続けた。
「僕は反対したんだ。他人が口出しするところじゃないって。
けど、ケロロくんはギロロくんに思い出を作ってあげたかったみたいで」
「それで、そこにちょうど良く現れた私をたきつけて、伍長をその気にさせたのか!」
「ケロロくんのやったことは、僕も感心しない。
君がどうしても、と言うなら、ケロロくんには内緒でこれを貸してあげてもいいよ」
「なぜ……」
「ただし。きっかけはどうあれ、結果的に付き合うと決めたのは君たちだ。
それを承知で、それでもこの事実を消してしまいたいのなら、僕は止めない」
青い手から小箱が差し出された。
これを手にしたら、消さなければならない記憶が頭に浮かんだ。
休憩室のまずいコーヒー。二人で歩いた砂浜。潮の香り。
そして潮騒の満ちた部屋の、シーツの皺に落ちた影……
私は長い間迷った後、その小箱を受けとった。
無言で深々と頭を下げ、宿舎へと歩き出す。
「あーあ。またケロロくんに怒られちゃうな」
後悔を感じさせないぼやきが、風に乗って聞こえた。
■forget me:END