■forget me:1
薄曇りの空の下、海は穏やかな様子で、海面にわずかな白波を浮かべ、凪いでいた。
私は出窓に腰掛けて、炒れたばかりのコーヒーを啜っていた。
眼下に広がる海は雄大で、いつ見ても飽きることがない。
数回泊まっただけだが、海は同じ顔を見せることがなかった。
ふと視線を感じると、伍長がベッドの中からこちらを見ていた。
「おはようございます」
「ああ。早いな」
「まだお休みになられては」
「いや、今日は引っ越しでな。今の部屋から荷物を実家に移さねばならんのだ。
荷物は少ないからすぐに終わる予定だが。お前こそ、今日は非番だろう」
半身を起こす伍長にコーヒーを入れようと、私は立ち上がってテーブルへ向かった。
「義眼のメンテナンス日なんです。まだ時間に余裕はありますが」
「そうか、俺はてっきり……」
「最後の休みなのに、すみません」
伍長の出発まであとわずか。二人で過ごせる休みは、この日が最後のはずだった。
「来週にずらすつもりだったのですが、メンテの担当官がどうしても今日に、と」
「ここからでは時間もかかる。言ってくれれば、昨夜は誘わなかったんだが」
「……だから言わなかったんですよ」
そう言いながら横目で伍長を見ると、眉間にしわを寄せ、向こう側を向いてしまった。
かろうじて見える頬が赤く火照っている。
「……夜までかかるのか」
「いえ」
「それなら後で連絡する。夕食くらい一緒に取れるだろうからな」
「はい」
私は頷くと、ベッドに上がった。伍長の肩をつつくと振り向いた顔にカップを差し出す。
手渡すと、そのまま伍長の横に滑り込み、しっとりとした肌に抱き着いた。
「お、おい!あまりくっつくとこぼれるぞ」
「そうですね」
生返事をしながら目を閉じる。
今夜の食事のことも、少しでも一緒に居ようとしてくれる、伍長の心遣いが嬉しかった。
「、くっつくなと言って……」
「伍長」
「ん?」
「あと……3日、でしたっけ」
「……ああ」
「ペコポンへ行ったら、私のこと、忘れてください」
ベルトの外された、白い腹のあたりに頭を乗せて言った。
後頭部に視線を感じる。
伍長はコーヒーをぐっと喉に流し込むと、ほとんど空になったカップをサイドボードに置いた。
ふと気配を感じて顔を上げたのと、伍長が私に覆いかぶさってきたのは同時だった。
「伍長!?」
両腕をシーツに押さえ込まれ、身動きが取れない。
伍長はその紅くなった表情を隠すように、顔を私の耳元へ埋めた。
「忘れられるわけないだろう」
「……」
囁きが甘く響き、頭の奥をじんと痺れさせた。
「」
「……はい」
「まだ時間はあると言ったな」
「……伍長こそ、引っ越しは」
「そんなもの後回しだ」
伍長の息遣いが荒く首筋を撫でてゆく。
私の中でおき火のように小さくなっていた欲望が、伍長の吐息を浴びて、またゆらりと立ち上がる。
私は頭の隅でそれを冷静に見つめながらも、ぎこちない指使いに思わず嬌声を上げた。