■大切な人


夏美は震える両手をすり合わせ、はぁっと白い息をかけた。
空を見上げればどんよりと低い雲が空を覆っている。今にも雪がひらひらと落ちてきそうな灰色をしていた。
明るい音楽が流れて、夏美は目の前に連なる人の頭を避けるようにその先を見た。

『じゃあ、今日はこのへんで。来てくれたみんな、寒い中ありがとう!
 帰ったら、大切な人と暖かく過ごしてね。バイバイ!』

623ラジオの公開放送が終わり、ウィンドウにへばり付いていた少女たちも散り散りに帰りはじめた。
後ろの方にいた夏美も、駅へと足を向ける。

「大切な人と、暖かく過ごしてね……か」

歩きながら一人呟いた。

―――大切な人。家族かな?
   ママ、冬樹。小雪ちゃんも、さつきややよいも、大切な友達。

   でも、ママはお仕事が忙しいし、冬休みの今は友達みんなと毎日会えるわけじゃないし。
   冬樹はいるけど―――

頷きながら歩いていると、夏美は不意に名前を呼ばれた気がして顔を上げた。

「夏美、ここだ」

声は歩道の脇の路地から聞こえてきていた。よく見ると、影の中に見慣れた釣り目が一対光っていた。

「ギロロ!」

声をあげてしまってから口元を押さえる。周囲を見渡してから、さりげなく路地へと入った。

「夏美」
「どうしたのよ、こんな街中で!危ないじゃない」
「すまん、これを」

そう言われて差し出されたのは、夏美愛用の手袋だった。

「玄関に忘れていたようだったのでな。パトロールのついでに届けに来た」
「このために……わざわざ?」
「パトロールのついでと言っただろうが」

それでも、夏美は心に温かなものが流れてくるのを感じていた。

―――大切な人と、暖かく―――

「そっか。暖かくするんじゃなくて、一緒だから、あったかいんだ」
「ん、どうした」
「なんでもない。ありがと、ギロロ」

ギロロは不機嫌そうに視線をそらしたが、その頬はピンク色に染まっていた。

「ねぇ、そのパトロールはもう終わり?」
「そ、そうだな。だいたいまわった」
「じゃ、一緒にかえろ!」
「! ああ……しかし俺はソーサーだぞ」
「じゃあ乗せてよ。嫌なら歩くけど」
「……かまわん」

ギロロは夏美に階級章を付けアンチバリアをかけると、ソーサーで上空に舞い上がった。
夏美も何度か乗っているせいか、安心しきった様子でギロロに掴まっていた。

眼下には灰色の街が広がっていたが、ビルの側面がオレンジ色に染まり始めていた。
ギロロは何かに気づいたように息を飲むと、夏美に声をかけた。

「夏美。西を見てみろ」
「西?」
「あっちだ」
「……わぁ!」

ギロロの指差した先には、低い雲を避けるように、赤みがかった夕陽が顔を覗かせていた。
温かな色合いが彩りを添えて、明かりの灯りはじめた町並みがより美しく見える。

「たまには空中散歩もいいわね」
「お前が望むなら、いつだって連れてきてやる」

少し気障な台詞に驚いてギロロを見ると、夕陽と逆の方を向いていて、表情が見えなかった。
しかし、その頬は眼下のビルたちのように紅く見える。
夏美は微笑むと、ギロロの体に回した手に力を込めた。

「ギロロには、大切な人って、いる?」
「ん?ああ、家族のことか?」

夏美は首を横に振る。

「そうだけど、それだけじゃなくて。自分の心を暖かくしてくれる人。
 一緒にいると、温かな気持ちになる人。」
「俺は」

ギロロは何か言いかけたが、言葉に詰まったように黙り込んだ。

「いないなら……私の大切な人に、入れてあげてもいいよ……あんたを」
「なっ……!?」

ソーサーが突然大きく揺れた。

「ギロロ!?」

気がつけば、ショートしたように頭から煙りを吐き出したギロロは、
レバーから両手を離して今にも落ちそうになっていた。

「ちょっとー!いゃああぁ!」

コントロールを失ったソーサーは、重力に引かれて落ちていった。

「……はっ、な、夏美!?」
「ギロロ!ちょっとどうにかしてぇ!」
「ぐっ」

ギロロはとっさに操縦桿を握りなおしたが、既に遅かったらしく、辛うじて日向家の方向へ向いたものの、
その庭へと一直線に落下していった。

「くそっ!夏美、つかまれ!」

叫ぶと同時にソーサーを勢い良く蹴ると、ギロロは自分のテントの上へダイブした。
ソーサーは庭に衝突して土埃りを巻き上げ、ギロロと夏美はテントを粉々に破壊しながら庭に不時着した。
夏美はとっさに自分の身体を確認したが、どこにも怪我はなかった。
ギロロがテントや地面と夏美の間に入り、盾になっていたのだ。

「ギロロ!」
「っく……心配ない、かすり傷だ。それよりお前は」
「なんともないわ」
「すまん、俺のせいで」

うなだれるギロロを見て、夏美はつんと横を向いた。

「もう、こんな目に遭うなら二度と乗らない!」
「夏美……」
「……ちゃんと、安全運転してくれるならいいけど」

横を向いたままの夏美の目がいたずらっぽく光ったのを見て、ギロロの埃まみれの顔が笑顔に輝いた。

「もちろん、二度とこんな目には遭わせん!……お前は俺の、大切な人、だからな」

最後の小声の部分が聞こえたのかどうか、照れたようににっこり笑う夏美の耳に、
何事かと走ってくる冬樹の足音が聞こえてきた。



■大切な人:END



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