■花売りの足音



この街に来て、どれくらいになるだろう。
空き家だらけの町外れにたどりつき、その中の一件をねぐらに決めた、あの日。
埃だらけのベッドで、あいつを抱いた。
割れた窓から見える、月明かりの、その下で。



別名義の口座まで押さえられ、俺たちの有り金は手元にある小銭だけとなっていた。
決してばれないはずだったが、そんなものを探し当てるのは、あいつには造作もなかっただろう。
帰ってこい、と言われている気がした。
そんな女のことは忘れて、帰ってこい、と。

俺はなけなしの金を全て女に渡して、軽く塵を払っただけののベッドに横になった。
そのうち空腹を感じ、床下の貯蔵庫を見ると、家主の秘蔵だったらしきウイスキーが出てきた。
喉の渇きを耐えかねて、飲めない酒を飲み、床に転がっていると、女が帰ってきた。
扉がゆっくりと開き、しばらく彷徨った視線が、床に倒れた俺を捕らえる。

「……なんだ、その目は」
「飲めないくせに、酒に逃げてるの」
「知ったふうな口をきくな」

ウィスキーのビンが女の足元で砕けた。琥珀色の液体が飛び散り、埃で真っ白だった床を濡らした。
起き上がり、ふらつく足取りで女に近づく。
女は手元の紙袋から、パンを一つ差し出した。

「あのお金で、食料を買ってきたわ。こんな街でも仕事はあるでしょ。またここで一から……」

俺はその手を、差し出したパンごと払いのけた。
パンは乾いた音を立てて床を転がった。

「どうなると言うんだ、これから」

女の目から光が失せる。

「どうなる、じゃないわ。どうしたいの、あんたは」
「俺が……?」
「あたしを幸せにしてくれるんじゃ、なかったの」

震えた唇で女が言い終える前に、俺は女の手を強く引いていた。
ベッドまで引きずっていったところで、強引に押し倒す。

「くれてやる。幸せなら、今すぐにここで」
「うそ」

俺は構わず、女の首筋に舌を這わす。
観念したように、女の体から力が抜けた。
いつものように指が女の身体を撫で、女はいつものように反応した。
そう、まるで習慣として、そうしているように。

そして事が終わった後、俺が見たのは、月明かりに濡れて光る女の頬だった。



その夜、同じベッドで寝ることを耐えかねた俺は、その家を飛び出した。
あてもなく通りを歩き、ごろつきに声をかけられては返り討ちにし、懐から金を抜いた。
先に仕掛けてきたのは向こうのほうだ。俺は悪くない。そう言い聞かせて。

その金で朝までバーに居座り、夜を明かす。
そんな日が2日ほど続いて、俺はやっと帰る気になった。

女は居なかった。朝の日差しがシーツの皺を際立たせる。ベッドは冷たかった。
横になるのも飽いて、一日中いらいらしては、壊れかけた壁を蹴り飛ばし、穴を開けたりしていた。
西日が差し始めたころ、あの日のようにパンを抱えた女が帰ってきた。

「どこへ行っていたんだ。そのパンはどうした。金は」

問いかける俺に、女は新聞紙を投げつけた。
俺の胸に当たって落ちたそれには、どこにでも生えている野草と花が包まれていた。
それは一見ただの野草の集まりだが、センス良く配置され、花束のように見える。

「これを売ったのよ」

女の指先を見れば、草の汁と新聞のインクで真っ黒に染まっていた。

「売れるのか、こんなものが」
「ええ、売れたわ。こんなもののおかげで、あんたは飯を食えるのよ」

投げつけられたパンを、今度は落とさず受け取った。
一口かじるとそれはかちかちに固く、ほこりっぽい味がした。

「あんたは。どこで何してたの」

答える代わりに、俺は女を押し倒したが、女は力任せに俺を押しのけた。
傾いたテーブルにパンとミルク瓶を置く女を、俺は黙って眺めるしかなかった。



稼ぐ方法といえば、寄ってくるごろつきから金を巻き上げる程度。
そのうち顔が売れて、寄ってくる者もいなくなってくる。
元々印象の強い顔だ。金に困るのに、そう時間はかからなかった。

舐めるように飲むだけでは、バーも居心地が悪い。
俺は追われるようにして、町外れのあばら家に戻った。
宵の早い時間に戻って来たのが珍しかったのか、女は心底驚いた顔をしていた。

「どうしたの……」

その手元を見れば、テーブルには少しの札束と小銭が置いてあった。
金の勘定をしていたようだった。

「こんな金、どこに溜め込んでいた」
「……言ったでしょ。お花を売って作ったの。その余りよ」
「こんなに余っていたなら、なぜ隠していた」
「決まってるじゃない!生活のためよ!あんたなんかにバレたら」

鋭い音が響いて、手の平が熱くなった。
女の頬を張ったことに、自分の痛みで気が付いた。
己へ、そしてこんな生活への怒りが湧きあがり、俺は部屋を飛び出していた。

幸せにするはずだった。
そのために逃げてきた。全てから。

なのに、この様はなんだ。



追い立てられるように、街の外れまで駆けて、たどり着いた場所は町外れの一番荒んだ一角だった。
軽薄なネオンが周囲をピンク色に染めている。

「おい、兄ちゃん」

ふいに肩にかけられた手を、思い切り握った。

「いてててて!やめろって、何もしねぇよ」
「用が無いなら話しかけるな。気が立っているんだ」
「おーこわ。人が親切にしてやろうってのによ」
「要らん世話だ」

男は舌打ちすると、ネオンの下にぽっかり明いた扉を指した。

「そこのバー、地下で賭けやってんだよ。人間同士を戦わせるヤツをな。
 あんたみたいな強そうなの、探してんだ。気が向いたら来な」

俺は、頭上の明かりが男の背中を明るく照らしているのを見ていた。

「そんな、この世の終わりみたいな面してるくらいなら、命張ってみるのも一興だろう」

己の命を張る。その言葉が心のどこかに引っかかり、俺は男の背を追っていた。



そして俺はそこで勝ち、金を手に入れた。
もう夜も遅く、そこに部屋まで用意してくれるという。
帰る気も無かった俺は、そこで横になり、久々の緊張と疲労で泥のように眠った。

そして起きると、既に翌日の日が暮れていた。
用意されていた食事を採っていると、昨夜の男が迎えに来た。
今日も一試合あるらしい。

俺は腹を括った。

中には危ない試合もあったが、俺はほとんど苦もなく勝ち続けた。
戦って、喰って、寝る。何も考えることはない。そんな毎日が心地よかった。
そんなある日。
試合後に部屋で食事をとっていると、男が話しかけてきた。

「あんたをスカウトしたおかげで、俺もずいぶん良い思いをさせてもらった」

俺は寝床と、食事と、戦うことさえあればよかった。それで毎日が終わるのだ。
こんなに楽なことはない。そう言うと、男は笑った。

「そう言うなよ。あんたには感謝してんだ。……じつは、これを渡そうと思ってよ」

男は足元に置いていた革張りの旅行鞄から、一掴みの札束を取り出した。
次々と取り出されるそれは、汚れた皿の横に積まれて一山を成した。

「怒るなよ。気付いていたと思うが、俺はあんたのファイトマネーをかなりちょろまかしていた」

無言の俺に、男は逆に焦りだした。

「まさか、気付いてなかったのか」
「関心が無かっただけだ。戦って、喰う。寝床があれば尚良い」
「あんたがそれなら良いけどよ。俺はあんたのマネジメント料だけでも、相当金が入った。
 この商売をもう辞めてもいいくらいにな」
「ここを去るか。あてはあるのか」

男は居心地悪そうに不精髭を引っかくと、押さえ切れないように笑みを漏らした。

「元々、女房と子供を隣町に置いて、出稼ぎに来てたんだ。
 昔はこの街も栄えてたからな。しかし雇い先をクビになって、今はこの様だ。
 待ってくれてるとは思わねぇが……会いに行こうと思ってな」

札束の山に手を置くと、男は俺の目をまっすぐに見た。

「だからよ、これはあんたの分け前だ。
 最初はあんな顔してたあんただ。色々あったんだろう。
 だが、これだけありゃこの街を出られる。出直せる。
 あんたが居なくなるとなっちゃ、ここの奴らが黙ってないだろうが、
 あんたなら簡単に逃げられるだろう。どうするかは自由だ」

そう言って、男は立ち上がると背を向けた。
俺は黙って札束を見つめていた。
ここの毎日に慣れきっていた俺は、その時、久しぶりに女のことを想った。


いや、わざと心の奥に封じていたのだ。
戦いの中に、憤りをぶつけて。全力で戦い、倒れこむように眠る。
そうすれば、自分のふがいなさ、弱さが消えて無くなるとでも思ったのだろうか。

しかし、今は後悔する隙間も無いくらいに、
ただ、女が恋しくて、愛しくて、会いたくてたまらなかった。
立ち上がりかけたとき、男が戻ってきた。

「そうそう、最後のお詫びにちょっと奢ってやろうと思ってよ。もうすぐ来るぜ」
「なんだ、食事ならもう要らん」
「違ぇよ。わかるだろ」

男はとびきり下卑た笑いを浮かべて去って行った。
俺は盛大にため息を付いた。今は何もかもがどうでも良かった。


今はただ、ただ、あいつに会いたい。


また、その想いを邪魔するように、ノックの音が響いた。
男の差し向けた者が来たのだろう。すぐに追い返すつもりで、仕方なく扉を開く。


そこで俺は、天使の面をした絶望を見た。


「あんただったのね」

女は、驚きで動けない俺を押しのけて、部屋に入った。
そして窓の際に立ち、毒々しいネオンを背に、口角だけ上げて笑った。

「言ったでしょ、花を売っていたって」

女の抱えたバスケットでは、幾つもの花が新聞紙に包まれ、死に絶えていた。



■花売りの足音:END



* あとがき *

ありがちな逃避行物を書いてみました。 登場人物はギロ夏のような、そうでないような。自由に読んで頂ければ。
元々はハッピーエンド至上主義なので、大好きなギロ夏でこういうのはちょっと……と思い、
あえて名前は書かないようにしました。(だったらなんでこんなお話書いたんだか)

CP設定があやふやすぎてどこに置いて良いかわからないのと、内容から判断して、
エロくはありませんが裏に置くことにしました。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。




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