■There's a candle burning
花のような香りに、周囲の空気がこごったようにとろりと澱んでゆく。
ほの暗い部屋で小さな炎がちらちらと揺れた。
夏美はリラックスした表情で、テーブルに付いた両手にあごを乗せている。
「いいにおい」
目を閉じて言う口元に、ギロロの視線が吸い寄せられた。
ごくり、と喉が鳴る。
掠れた声でその名を呼んだ。
「夏美……」
「なぁに」
それ以上の言葉が見つけられない。
夏美はそれを気にする風でもなく、ギロロに言った。
「来てくれてありがと。
お部屋で火を使っちゃいけないってママが言うんだけど、
こうしてギロロがいれば大丈夫だよね。いつも火薬とか扱ってるわけだし」
「この匂い、このろうそくか……?」
「うん、アロマキャンドル。最近疲れてるって言ったらプルルちゃんがくれたの」
夏美がわずかに頭を上げて、炎を見つめた。
風呂上がりのまだ渇ききっていない髪が、うなじからひとふさ鎖骨へ落ちる。
ギロロは炎の向こう側にいる夏美から目が離せない。
今この部屋にはろうそくの明かりが灯るのみ。
炎が揺れるたびに壁の影が大袈裟に踊ってみせた。
―――そう、ギロロを試すように。
「……ギロロ?」
机の向こうに正座していたはずのギロロが、夏美のすぐ横に立っていた。
「どうしたの」
「夏美」
座ったままの夏美の視界が急に暗くなると、
花の香りで満たされていた鼻腔を硝煙の臭いが刺す。
そこで夏美はようやく、ギロロの胸に抱きしめられたと気づいた。
「ギロロ?」
しかし頭を包む両手は優しく、夏美は驚きよりも、頬に当たる皮膚の
しっとりとした感触に目を閉じた。
「なんか……安心する」
「お前は、ひどい」
「どうして?」
「こんな状況で、なぜそんな顔ができるんだ」
「そんなって……どんな顔?」
ギロロの腕の中で、夏美は先程と同じように目を閉じた。
火薬の香りを胸いっぱいに吸い込む。
「同じね」
「何が」
「キャンドルの香りも、ギロロのにおいも。私にとったら同じ」
夏美はそのままギロロの腰に手を回そうとした。
するとギロロは体を引く。
急によりどころを無くして、夏美はカーペットに手を付いた。
「やはり、お前はひどい」
急に失われた温もりに、夏美は眉を寄せてギロロを見つめた。
「だから、なにがひどいの」
「そういうところがだ」
「わけわかんない」
夏美は頬を膨らませ、上目遣いでギロロを睨む。
そんな夏美を見て、ギロロはその頬に手をかけた。
「誘っているのか」
「……え?」
ギロロの顔が迫る。
纏わり付くような花の香りに、夏美は身動きができない。
直前で夏美が目を閉じると、想像していた感触は訪れず、
代わりに素通りされた夏美の脇でキャンドルが吹き消された。
燃え残りの芯がくすぶる香りがして目を開けると、周囲は暗闇に包まれていた。
「子供は寝る時間だ」
夏美の額に柔らかな物が押し当てられる感触がした。
ギロロの顔を見ようと顔を上げると、その頬にかけられていた手が離れた。
「子供じゃ……ない」
闇の中で夏美の目が光る。
しかしギロロは既にドアに向かい、夏美に背を向けていた。
「子供じゃないなら、俺はこんなに優しくできない」
「……どういう意味」
それを聞くことは、なぜか夏美に勇気を必要とさせた。
「……おやすみ」
開かれたドアの隙間から光が射して、眩しさにひるむうち、ギロロは行ってしまった。
後に残されたのは、花の甘さとくすぶった芯の苦さが混じった臭い。
夏美は突然悲しくなって、自分でも理由のわからない涙で瞳を潤ませた。
「ギロロ……」
「夏美」
ギロロは庭に下りると夏美の部屋を見上げた。
愛しいその名を呟いて、胸を押さえる。
先程抱いた頭の、まだ渇ききらない髪の感触が、指先に残っていた。
■There's a candle burning:END